(期限付きでエンジニアに転身)
1987年にキーエンスに入社後、20年以上、営業関連の仕事をしていた私は、2008年にエンジニアとして関電工に勤務することになりました。
制御機器メーカーでの法人向けの営業の立場から、実際にそれらの制御機器を使用してシステムを構築する側となった訳です。実は、当初は3年間だけの期限付きエンジニア転職と考えていました。(最初から3年間で辞めると言っている人間を、しかもエンジニアとしての実務経験のない40歳を過ぎた人間を受け入れてくれたのですから関電工の懐の深さも大したものです)

(期限付き転身の理由)
当時、営業のスキル指導や取引会社の営業研修のセミナー講師などをしていた私が、営業マンが徹底すべきとして強調していた項目のひとつに、「採用頂いたお客様に採用理由をお伺いする」というものがあります。また社内では、機器の販売戦略の立案や開発企画の業務が本業だった私にとって、この項目は自分自身でも実践する必要のあることでもありました。

それまで在籍していた2社(キーエンス・エムシステム技研)は、両社とも工場やビルなどの監視制御システムで使用する機器のメーカーではありましたが、業務としてはシステム構築を行わないコンポーネントに特化していました。採用理由の把握には勤めていてもシステムの全体が良く見えてないので、システム全体の中で何故それが優位なことなのか、実際に選定したエンジニアはどういう気持ちや事情で選定するに至ったのか、何となくはわかるのですが、自分の中でしっくりと落ちてこない部分があります。

私はその頃、制御機器や計測器メーカーの営業を科学し標準化することをライフワークとしコンサルタント業で独立しようとしていた考えていました。”しっくりと落ちてこない部分を明確に理解したい” 出した結論が”自分で選定者の立場になれば良い”でした。
正規実務としての経験は無いにしても、PLCの営業の頃は、お客様の技術担当者への技術講習は自分でやっていたし、売りたい一心で装置メーカー様の制御プログラムも自分で組んだこともあるし(時効だと思ってますが、営業が勝手にプログラムつくるのは会社としてはもちろんNGな行為です。バグがあったら誰が責任とるのでしょう・・)。PLCプログラム以外にも、SCADAや、VBでのプログラムなどはサンプルプログラムなどはつくることは結構ありましたので、基本動作のロジックを作る部分は即戦力通用すると考えていました。後は、経験のあまりない実運用でのエラー処理などを学びながら仕事させてくれる会社さえあれば転職できる。

(ほぼ予定通りに退職)
大きな案件もまかせて頂ける様になり、システムエンジニアの仕事にやりがいを感じるようにもなっていたのですが、ほぼ予定通りにプロジェクトの区切りで退職させて頂きました。ありがたいことに慰留までして頂けました・・・会社には本当に感謝です。

(続編があります)
予定通りに退職までしているのですが、営業コンサルタントだったのが、何故かシステムエンジニアのままです。
この仕事が好きになったというこてですが、営業コンサルタントを本業にしなかった理由とか、また後日に続編を考えています。

執筆者 小松彰彦